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Winning shots of Casey Currie at Dakar, Saudi Arabia
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ダカールラリー2020 - ケーシー・カリー、四輪車部門で総合優勝を果たす

Jan 292020

 モンスターエナジー・カンナムチームのメンバーは全員、車両の整備の手を休めてキャンプファイヤーの周りに集まった。サウンドトラックは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバム、カリフォルニケイションだ。辺りは大規模なイベントの緊張感に包まれている。ここは最終ステージ前夜のハラドの野営地だ。ケーシー・カリー(Casey Currie)、ショーン・ベリマン(Sean Berriman)、さらにホンダのファクトリーライダーであるリッキー・ブラベック(Ricky Brabec)もこの集いに参加していた。

ダカールラリーの史上初めて2人のアメリカ人が、残すところあと1ステージの時点で総合成績をリードしていた。「なんてことだ、あり得ないね!あいつら、歴史を書き換えているぜ」と、物陰からメカニックの1人が言った。更に、朗報はホワイトハウスにまで届いた。42年にも及ぶダカールラリーの歴史において、アメリカ人が初めて優勝を獲得することはオリンピックで金メダルに輝いたり、ランス・アームストロング(Lance Armstrong)がツール・ド・フランスで優勝したりするのに似ている。アームストロングの健闘は、北米の自転車競技の勢力図に大きな変化を与え(グレッグ・レモン(Greg LeMond)の成功以上に)、信じられないほど強力に自転車競技を推進した。

その日を確実に。」3日目、ネオムでサイドバイサイド部門の総合成績のトップに立って以来、カリーはこの合言葉を繰り返し唱えた。「まだもう1日ある。」その夜、カリーは驚くほど熟睡した。その一方で、コ・ドライバーのベリマンはほとんど眠ることができなかった。1月17日は、南アフリカ共和国の28回目の建国記念日でもあった。しかし誰もそれを気に留めようとしなかった。彼らには完遂すべき任務があったのだ。カリーは、ロシア出身のカリアキン・セルゲイ(Kariakin Sergei)に対し45分33秒、昨年のペルーのダカールラリーで優勝したチリ出身のチャレコ・ロペス(Chaleco Lopez)に対し57分32秒のアドバンテージを築いていたにも関わらず、強いプレッシャーを感じていた。「あともう1日だ。

 

167キロに短縮された最終ステージ12のスペシャルステージとキディアのグランプリは、歴史に名を残すライダーやドライバーを依然、待ち続けていた。カリーは猛然とプッシュすることはなく、スマートなドライビングに徹した。この時点で、さらなる好タイムを狙う代わりに余計なリスクを背負うのは無意味だった。ステージ優勝を獲得したのは、カリーのチームメイト、レイナルド・ヴァレラ(Reinaldo Varela)だ。そして、カリーとナビゲーターのベリマンは、セルゲイに39分12秒、そしてロペスに52分36秒の差をつけ、総合1位を獲得した。ついに掴みとった勝利である。ここにアメリカンドリームが実現した。
36歳のカリーは、わずか2度目の挑戦でこの夢を実現した。昨年のカリーのダカールラリー初挑戦は、他の新人にも見られるような緩やかなラーニングカーブを描いていた。しかし、プロのライダーでもあるカリーはこの経験を最大活用した。つまり、ルールやレースの形態を理解し、あるステージで勝ったとしても翌日は有利なポジションにいられるわけではないという最も重要な法則を学んだのだ。事実、今年のダカールラリー2020におけるステージ毎のリザルトを見ると、カリーは終始一貫してトップ5に名を連ねている。

 

「朗報はホワイトハウスにまで届いた」

ダカールラリーへの挑戦は、どのように始まったのですか?

僕は砂漠地帯から2時間のところにある、カリフォルニアのアナハイムヒルズに住むモータースポーツ好きの家庭に生まれ育った。自宅にあるものはすべてオフロードレースに関係するものばかりだったよ。僕は、幼い頃にオートバイでレースを始めた。16歳になる頃には、レーストラックで初めて車のハンドルを握るようになっていた。僕の輝かしい戦歴かい?バハ1000での優勝が3回、TORC(The Off Road Championship)ショートコースの世界タイトル獲得が2回、TORCショートコースとSCOREバハの世界チャンピオンにもなったことがあるよ。昨年の1月、僕はモンスターエナジー・カンナムチームからダカールラリーにデビューし、「サイドバイサイド」のカテゴリーで4位になった。

このダカールラリーは他と何が違うのですか?

違う点はたくさんあるね。まず、地形が全然違う。ペルーでのダカールラリーでは主に砂地を走ったけれど、ここサウジアラビアでは信じられないほど変化に富んだ地形を走ることになる。岩肌、砂地、速度の乗る道路、乾燥した川床、渓谷などだ。僕のレースに関して言えば、昨年は僕が新人の年だった。互いのことをあまり知らないコ・ドライバーを選んで新たな挑戦に立ち向かってしまうというミスを犯した。そのため、コックピットで数多くの誤解が生じてしまった。とてももどかしかった。コ・ドライバーの選択をもっと真剣に考えるべきだった。さらに、多くの技術的な問題にも直面した。だけどそれは良い教訓になったよ。そして、レースの形式や戦略、さらにはステージ優勝してもその翌日はトラックを開拓して時間をロスするから、有利なポジションにいられないという事実も学習した。上位3人、もしくは5人に入るといった一定のペースを保って毎日走り続けるほうが望ましい。

ナビゲーターのショーン・ベリマンと一緒に過ごした車内の雰囲気はどうでしたか?

これは昨年の1月に学んだ教訓だ。レース中のテンポは速く、プレッシャーも強い。だからコックピットの中では互いに完全に理解し合うことが欠かせない。去年の1月、ダカールラリーから戻った後、僕はまわりのプロドライバーの仲間からナビゲーターの候補を探し始めた。その時にベリマンの名前が浮上したのさ。僕はこの選択に満足しているよ。同じ国の言葉を話すことは必須条件だ。日を追うごとに僕らは互いにより深く理解し合うようになった。長いリエゾン区間の走行中は、冗談を言ったり、共通の友人のことを話したりする。

2人のうち、アドレナリンの分泌がより多いのはどちらですか?

僕らはとても良いコンビだよ!ベリマンは隣にいて、僕にどの方向へ進むべきか教えてくれる。さらに、僕を鎮めてくれるのも嬉しい。僕らはリードしていたしレースも終わりが近かったので、最後の2日間は非常にストレスが高かった。一切のミスを犯したくなかったからね。

車については、どうでしたか?

今回はまだ始まって間もないプロジェクトであり、完全にリビルドした新しいカンナムをテスト後に使った。ダカールラリーは、車両にとっても間違いなく究極のテストの場となる。最も大きな弱点はアクスルシャフトだったけれど、チームはすでに問題を特定し、その改善に取り組んでいるよ。最終的に僕は満足しているよ。

ステージ3以降リードしていましたが、違いを生み出すことができた特定のステージはあったのでしょうか?

そういった特別な瞬間はなかったね。勝利を賭けた戦いが始まり、ギャップが埋まっていくにつれて僕らは多くの浮き沈みを経験した。僕らの後ろにいる大勢の参加者たちが激しくプッシュし始め、ミスがミスを呼び、大破する車が続出した。その状況は僕らにとっては有利に働いたけれど、僕らもナビゲーションを間違えることなく終始一貫して安定したペースを維持する必要があった。僕らはゴールラインを通過するまで、車を無事に保つ必要があった。日々、僕らはある程度のマージンを積み上げていったが、だからと言ってよく眠れる夜を迎えられたわけではない。45分のリードを保ったまま最終ステージの前夜を迎えたときでさえ、熟睡できたわけではないよ。

あなたの主なライバルは誰ですか?ステージの脇から彼らを研究されていましたか?

僕らの主な競争相手は、昨年の優勝者であるチリのロペスとロシアのセルゲイだ。毎日、僕らと彼らが追い付いたり追い付かれたりする時には、前走車のタイヤの溝があるかどうか見えるくらいまで近づき、互いを観察しながら研究したよ。

ステージに対する準備はどのように進めるのですか?

準備はステージを通過する前の晩に始まるよ。夕方のブリーフィングに出席することはとても重要だ。地形や難易度などについて翌日、どんなところを走ることになるのかを知ることができるからね。必要となればタイヤの空気圧やサスペンションのセッティングを変更することもある。そういった細部のチューニングはとても役立つ。ナビゲーターのベリマンはロードブックを用意する。だからブリーフィングの後、ベリマンはステージについて理解をより深めることができる。

この成功は、完璧なチームワークの結果でもありましたね。

休息日までは、チームオーダーは発令されなかった。誰もがトップの座を賭けて争っていた。モンスターエナジー・カンナムのチームメイトである2人、ジェラルド・ファレス(Gerard Farres)とレイナルド・ヴァレラ(Reinaldo Varela)が早い段階で故障に見舞われ、多くの時間を失ったのはとても残念だった。僕らは休息日にチーム会議を開催し、チームが一致団結して優勝という究極の結果を獲得するための戦略を決定した。

ステージでの競技中に、ファレスとヴァレラを乗せて走った時はどんな気持ちでしたか?

何か問題が起きた時でも、それを解決するために手伝ってもらえるという安心感に包まれたよ。彼らは僕らのためのスペアパーツを運んでいた。最終的に重要なことは、チームを表彰台の頂点に立たせることだった。たとえばステージ7では、僕らはファレスとヴァレラに続き、7番手でスタートした。彼らはスタート地点から500メートル先の地点で車を路肩に寄せ、僕らがその日一緒に走ることができるように僕らを待っていてくれた。ファレスが先行してコースを開拓してくれた。だから僕らは地形をより良く理解することができた。そして、何か問題が生じた時に備えてヴァレラが僕らの後ろを走ってくれた。

最も困難な瞬間はいつでしたか?

最初の数日間は尖った石が多くて、僕らはさらに複雑なドライビングを強いられた。この点については、来年のダカールラリーまでに状況を考察し、解決策を見いだす必要がある。たとえば、ステージ2ではタイヤが2回パンクして、スペアホイールを使い果たした。もうスペアが無いことをわかっていたから僕らは神経質にならざるを得なくて、スピードを落として走行しなければならなかった。

どのステージで嬉しい気持ちになったのか覚えていますか?

ステージ1では、僕らはジェッダからサウジアラビアの北部へ向かった。紅海を左手に、そして連なる山々を右手に眺めながら進んだ。変化に富んだ地形は印象的で、今年のダカールラリーの贅沢な前菜となった。

ステージを走行中にベリマンと冗談を交わす時間はありましたか?

時々あったよ。特に誰かががむしゃらに飛ばしているのを見た時にね!だけど、たいていの場合僕らは完全にレースに集中していて、交わす会話はすべて進む方向に関することだった。長いリエゾン区間については、また別の話だ。僕らは気楽に共通の友人について雑談し、冗談を言い合ったよ。ベリマンはラスベガスに住んでいるんだ。僕の家から3時間ほどの距離があるけど、同じ地域だよ。あれこれ話すのは良いことだけど、長い間話していると騒音と同じになる。制限速度は時速130キロだ…。

今日はベリマンの28歳の誕生日です。これ以上最高のプレゼントを用意するのは難しいでしょうね…

そうだね。本当に素晴らしいよ。優勝の経験をベリマンと共有することができて本当に良かった。ベリマンにとって6回目のダカールラリーへの参戦だ。祝福すべき偉業を達成したよ。

あなたがダカールラリーで優勝すると知った時、頭の中でどんなことを考えましたか?

僕は、ダカールラリーの現場にいる機会に恵まれたことを幸せに思った。それは僕の生涯の夢だったからね。それが現実になったなんてまだ信じられないよ。

四輪部門で優勝した最初のアメリカ人となって、どのような気持ちですか?

僕はアメリカにとても興奮している。僕のキャリアの輝かしい頂点だからね。もう少し落ち着いて、これが現実のことであると悟るまでにあと数日かかると思う。今日は素晴らしい日だ。僕は二輪部門のブラベックと共に、表彰台の頂上に上がった2人のアメリカ人となった。信じられないよ。今日という日はずっと記憶に残る日にちがいない!

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