be_ixf;ym_202004 d_02; ct_100
閉じる
Brabec wins the Dakar Rally
NEWS

ダカールラリー2020 – リッキー・ブラベック、初の総合優勝を飾る

Jan 282020

 ダカールラリーの野営地にいた者なら誰でも口を揃えて言うだろう。今回の勝者は、リッキー・ブラベック(Ricky Brabec)で決まりだったと。ブラベックは初日から堅実なレース運びを展開し、終始、集中していた。ブラベックは依然、陽気なアメリカの少年が持つおおらかな気質を持ち、純真な笑顔を浮かべていたが、その眼光は鋭く、ダカールラリーがどういうものかを熟知しているレーサーとしての認識と習熟の深さを物語っていた。昨年、ブラベックの乗ったホンダCRF450ラリーのエンジンが惜しくもトラブルに見舞われ、ダカールラリーを制覇した最初のアメリカ人になるという夢は惜しくも潰えた。だが、この時の失望は今年もまだめらめらと根強く燃え続けていた。「僕はもっと強くなって戻ってくる。」と、ブラベックは昨年そう誓った。そしてついに、その使命を果たした。

12日間にもおよぶ計7,000キロもの長い距離のレースを走り終え、キディヤにて見事1位でレースを終えたブラベックは、42年に及ぶダカールラリーの歴史において優勝を獲得した初めてのアメリカ人となった。他にアメリカ人ライダーの入賞歴は、1992年にカジバを駆ったダニー・ラポルテ(Danny LaPorte)が2位、2000年にはBMWに乗ったジミー・ルイス(Jimmy Lewis)が3位、そして2007年にKTMに乗ったクリス・ブライ(Chris Blais)が3位の表彰台をそれぞれ獲得している。

ダカールラリーの模様
ジェッダでは、ブラベックは初日から好調で、(ジェッダ~アル・ワジュの)753キロのうち319キロの計時区間において昨年の快走を思い起こさせるような好タイムをマークし、部門2位につけた。最終的にブラベックのタイムは注目に値する好記録となり、ステージ全体でも2番目に速いタイムとなった。2日目、ロードブックがスタートのわずか20分前に配布された。今年、ダカールラリーに初めて導入された新しいシステムによって、レースの展開の予測が困難になった。ファクトリーチームのライダーに対し、マップマンが手助けすることができなくなったのだ。そのためライダーたちは、砂ぼこりにまみれ、乾ききった川床や強風が吹き荒れる岩石だらけの峡谷や砂丘の間を縫うようにして自分の進路を自分自身で見つけなければならなくなった。ラリーで最も必要となるスキルであるナビゲーション力が再び脚光を浴びることになった。この日のレースはハイスピードな戦いとなった。ステージのルートの大半は平坦地だったものの、並行して走る複数のトラックは、すべてのライダーたち、特に先頭集団のライダーたちに加えてサポートメンバーたちに対しても同様に、特に精密なナビゲーションの実施を要求する厳しいものだった。ブラベックにとって事前に自宅やモロッコで実施したすべてのトレーニングが非常に役立った。
この日のステージを2番目のポジションから開始しなければならなかったブラベックは、ほとんどの時間、自ら進路を切り開いて単独で走破した。ブラベックは、刻々と変化する状況を巧みに管理下に収め、そのステージを11位で終えることができた。その結果、総合成績では5位となり、トップからは4分ほどの差がついた。しかし、この日の困難はそれで終わりではなかった。トップクラスのライダーたちは、初の試練となる「スーパーマラソンステージ」に直面した。このスーパーマラソンステージではチームからのサポートを受けることが出来ず、マシンの整備に与えられた時間はわずか10分しかない。そのため、ホイールを交換している時間すらないほどだ。

 

3日目のステージは、ヨルダンとの国境付近にあるネオム周辺に設定された414キロの周回コースで行われた。ネオムでは、各ライダーはこの国の北西地域特有の大きな岩石と砂に覆われたルートを走ることになる。ブラベックにとっては、ライバルに差をつけるための日となった。この日の早朝、ブラベックがマーキングされたロードブックを受け取ったのはレース開始のわずか数分前だったが、これはブラベックにとって全く問題とはならなかった。ブラベックは、滑りやすい砂利が敷き詰められている山道と高速セクションでライバルたちを圧倒し、ステージ終了時にホンダが表彰台を獲得するための道筋をつけたのだった。ブラベックはこのステージを制して総合トップに浮上し、チームメイトの“ナッチョ”・コルネホ(“Nacho” Cornejo)とケビン・ベナバイズ(Kevin Benavides)もそれぞれ2位と3位を獲得した。トップに立ったことでブラベック自身にもさらなる自信が沸き起こった。痛恨のリタイヤから1年後、ブラベックは再び戻ってきたのだ。この時、ブラベックが考えたことはただ1つだった。最後までこの調子で走り切る。

 

続くダカールラリー2020のステージ4は、ネオムからアル・ウラへ向かう競技区間453キロ、および移動区間のリエゾン219キロの計672キロが舞台となった。リザルトで優位に立つモンスターエナジー・ホンダチームは、最終目的地であるアル・ウラの野営地へ到着した。そしてこのステージ4でもホンダ勢が表彰台を独占した。今回はチリ出身のコルネホが初のステージ優勝を果たし、ベナバイズとブラベックがコルネホに続いてホンダ勢がトップ3を独占した。厳しい条件の中でブラベックはそれ以上の結果は望めないほどのベストを尽くした。再びこの日のステージは、砂地のセクションと岩石のセクションが交互に現れる高速コースとなっていた。ブラベックは、自分が得意とするコースで鬼神のようにプッシュを続け、部門全体でのトップの地位をさらに強固なものにした。ベナバイズに対し2分30秒、コルネホに対し8分31秒、そして、KTM勢ではトップに立つオーストラリア出身、トビー・プライス(Toby Price)に対し12分09秒のリードを築いてはいたものの、ブラベックは一瞬たりとも攻勢の手を緩めようとはしなかった。アル・ウラからハイールに向かうステージ5は、353キロのスペシャルステージだ。ここでは岩石だらけの高速トラックとオフロードの両方があり、ラクダの食料となる草を蹴散らしながら走ることになった。ほんのわずかな小さなミスでも命取りになる状況の中、ブラベックは総合順位でのトップを維持するというたった1つの目標を抱いてスタートを切った。そして、ステージ優勝を手にしたKTMのライバルであるプライスとの差を3分以内に抑えたため、プライスとの総合成績の差を9分06秒に維持することができた。ラリーに出場しているキャラバン隊が残りの日程のためにリヤドに向かっていたころ、デビッド・カステラ(David Castera)は砂丘と平地からなるステージ6の高速コースに対応するため、477キロのスペシャルステージの準備に取り組んでいた。

 

さらなる挑戦が待ち受けていた。ステージ6のスタートは、再び気温がほぼ0度の早朝の時間帯となった(最初のバイクは野営地を午前4時50分にスタートした)。ブラベックは、ほとんどのステージをナッチョと一緒に走った。これはブラベックにとって1つの目標であった完璧なチームワークの一環であり、総合成績での優位性強化に大きく貢献した。ブラベックのアプローチは揺るがなかった。「その日を確実に」。
2013年、日本のチームであるホンダがファクトリーチームとしてダカールラリーに復帰して以来、初のアメリカ出身ライダーとして、また、初のモンスターエナジー・ホンダチームとして総合順位のトップに立って休息日を迎えたことは純粋な喜びだった。リッキー・ブラベックは、ここまで3,711キロを24時間43分47秒で走破している。チリ出身のパブロ・キンタニラ(Pablo Quintanilla)(ハスクバーナ)との差は、20分56秒、そして2019年のダカールラリー勝者、トビー・プライス(Toby Price)との差は25分39秒のアドバンテージを築いていた。
リヤドを離れ、ダカールラリーのキャラバン隊は2週目に突入した。カステラは、これをレースの最も困難な局面に差し掛かったと説明している。砂地の高速トラックでは1キロごとに隠れたトラップが出現する。リヤドからワディ・アル・ダワシールへ向かうステージ7は、ダカールラリーの歴史の中で最も悲しいステージの1つとして人々の記憶に刻まれることになった。スタート後の279キロ地点で、ポルトガル出身のパウロ・ゴンサルベス(Paulo Goncalves)が転倒、懸命な救命活動にも関わらず搬送先の病院で帰らぬ人となった。現地時間10時08分(グリニッジ標準時間07時08分)に大会事務局はアラートを受信した。10時16分にドクターヘリが現地に到着し、ゴンサルベスが心停止の後、意識不明になったことを確認した。ゴンサルベスを蘇生しようとあらゆる手が尽くされたが、残念ながら病院で死亡が確認された。野営地に集まっていたダカールラリーのコミュニティ全体が、昨年までモンスターエナジー・ホンダチームのメンバーだったゴンサルベスの早すぎる逝去にショックを受けていた。その結果、ワディ・アル・ダワシール近辺を周回するステージ8は、ゴンサルベスへの哀悼の意を表し、二輪部門の競技は中止となった。これは、悲しみに暮れるゴンサルベスの家族と仲間のライダーたちの気持ちを尊重した正しい決定だった。

 

翌日、すべてのラリー競技は通常開催に戻り、アラビア半島の東へ向かうステージ9では、チームはハラドに拠点を置いた。ライダーたちは、376キロのリエゾン区間と410キロのタイム計測を行うスペシャルステージに向けて午前5時25分にスタートした。この時間、まだ周辺は薄暗い。行く手には非常にタフなトラックが待ち構え、高度なナビゲーションのスキルが要求された。ブラベックは依然、レースを自分の管理下に置き、マシンと身体をいたわり続けた。ほんのわずかな失敗でレースを失う可能性があることを意識していた。この日、ブラベックは4位でフィニッシュし、翌日の有利なスターティングポジションを維持し、ステージでのタイムもほとんどロスせずに済ますことができた。ステージ9での勝者はパブロ・キンタニラだった。トビー・プライスは2位、そしてブラベックのチームメイト、ホアン・バレダ(Joan Barreda)が3位でキンタニラの後に続いた。ブラベックは微笑を浮かべ続け、最終ステージのキディヤのゴールに到達する時にのみ黄金のトゥアレグトロフィーの価値があることを理解していた。より賢明で効率的なチームワークに恵まれ、ステージ10の終了時点でホンダは上位3チームに入ることを確定した。この先、重要な鍵を握るのは、広大な「空虚な4分の1(一角)」と呼ばれる世界最大のルブアルハリ砂漠で行われるマラソンステージの最初の部分だ。当初、スペシャルステージは534キロに設定されていたが、激しい砂嵐に見舞われて視界が著しく低下したため、ステージ10は345キロに短縮された。突然のコース短縮によってブラベックの戦略が複雑になったにも関わらず、ブラベックはステージ10を2位でフィニッシュし、肉迫するライバルたちに対するリードを広げた。キンタニラに対しては25分以上、そしてステージ優勝を獲得したバレダに対しては27分以上のギャップを築いた。残りがわずか2日となり優勝への期待が高まる中、ブラベックは自分自身の恐怖の亡霊に対処しなければならなかった。「集中せよ。その日を確実に」がブラベックの合言葉だ。ステージ11での計時区間379キロ(合計744キロ)を走行中、ブラベックはこの合言葉を頭の中で1,000回以上も繰り返し唱えたという。野営地での焚火の炎は、大切な最終日の前夜をきれいに晴らした。アメリカ人たちは皆、ゲイリー・クラーク・ジュニアのブライト・ライツに耳を傾け、グループの結束を固めた。二輪部門のブラベックとサイドバイサイド部門のケーシー・カリー(Casey Currie)の2人は、世界で最も難しいダカールラリーをリードしながらも、いまだに非現実感を覚えていた。キンタニラとの差はわずか13分56秒。そして残りのステージ12の計時区間は375キロ。ここで何かを失敗すれば優勝はブラベックの手から逃げてしまう状況だった。

 

この夜、ブラベックは眠ることができなかった。野営地で同じキャンピングカーに泊っていたナッチョ・コルネホも同じく眠れぬ夜を過ごしていた。最終ステージ12のリヤド~キディヤの区間は、ただひたすら終わりがないかのようだった。ブラベックの目標はたった1つだった。ゴールラインを越えること。それだけだった。ブラベックはペースを制御したが、それでもなおプッシュし続けた。それは、1つには無事にフィニッシュするため、そしてもう1つには初のダカールラリーの勝利を堂々と手にするためだった。ブラベックは119キロ地点で最速タイムを記録してチームメイトのホセ・イグナシオ・コルネホを18秒差で上回り、最終的にはコルネホに遅れること53秒の2位で最終ステージ12を終了した。ホンダのファクトリーチームのライダーたちは、ダカールラリーで優勝を獲得した最初のアメリカ人になるため、キディヤで栄光のグランプリにつながるルートに従い、ただひたすら生き残る必要があった。
そして大きな驚きがブラベックを表彰台で待っていた。父親のリック・ブラベック・シニアがはるばるアメリカから飛行機で現地を訪れていたのだ。そして日本からは、HRC代表取締役社長の野村欣滋(のむら・よししげ)とHRC取締役兼MotoGPレースマネージャーの桑田哲宏(くわたてつひろ)も現地に到着した。ブラベックは、ホンダが31年間、手にすることができなかった勝利を獲得し、2001年以来18年続いていたKTMの連勝記録に終止符を打った。

 

2020年のダカールラリーでの勝利は、ダカールラリー史上ホンダの6回目の勝利となる。5回の優勝をアフリカで獲得したのは、シリル・ヌヴー(Ciryl Neveu)(1982年、1986年および1987年)、エディ・オリオリ(Edi Orioli)(1988年)、およびジル・ラレイ(Gilles Lalay)(1989年)のライダーたちだ。

 

「……特に、ホンダ、モンスターエナジー、およびアルパインスターズに携わるすべての人々からの支援がなければ、僕は優勝することができなかったと思う。」

昨年の大きな失望から立ち直るのは、ご自身にとってどのくらい困難でしたか?

昨年のアクシデント(ブラベックは二輪部門をリードしていたが、エンジントラブルの為、ステージ8で惜しくもリタイヤした)が起きた後、僕はいったんチームから距離を置き、シーズンの後半にだけ参加した。それは僕自身の決断だった。自分を取り戻す必要があった。本当に試練の時期で複雑な気分を味わった。みんなと一緒に現場にいられないことに対しても傷ついていたよ。最終的にレースへ復帰した時に、僕は少しペースがずれていることに気付いて、彼らとシーズンを通じて一緒にやっていれば良かったのに、と悔やんだ。だけど今になって振り返ってみれば、僕には一人で過ごす時間が必要だったし、そうやって乗り越えてきたことを実感するね。

チームは数多くの変化を経験されたでしょう。

そうだね、経営陣にとっては変化があった。ルーベン・ファリア(Ruben Faria)がチームマネージャーとして、また、エルデル・ロドリゲス(Helder Rodrigues)がスポーティングマネージャーとして加わった。僕のメカニックを務める花輪(秀)がチーフメカニックとして昇格し、ノーマン・ケンドール(Norman Kendall)がチームに加入したよ。

ホンダの戦略は、特定のライダーだけに集中し過ぎていると批判されることが多々ありますね…

僕も過去にその状況に苦しめられたよ。チームからのサポートを感じられなかった。

過小評価されていたように感じますか?

そのとおりだ。僕はチーム内で常に過小評価されてきた。僕自身は、いつも自分のチームメイトたちと戦っていると感じていた。自分のスキルの高さを証明する必要があった。その結果として雰囲気が変化した。チームが醸し出す良い雰囲気と自信があれば、素晴らしいことを達成できる。

今年はどうでしたか?

僕にとっては明らかなのは、誰か1人だけのためにレースをするつもりはないということだ。僕らは5人のライダーだ。僕らはみな、勝つためにそこに集まった。昨年の1月、僕がステージ優勝して総合順位のトップに立ち、自分のスキルを証明できたことで、色々なことが変わり始めた。今年僕らはそのバリアを突破し、そして超越したんだ。

チームメイトとの関係はどうですか?

僕はチームの尊敬を勝ち取る必要があった。だからこれは成果だ。僕のチームメイトたちに関しては、今では誰とも仲がいい。特にコルネホとは親友だよ。僕らはキャンピングカーを共有していて、とても楽しい時間を過ごしている。コルネホは若いし、才能がある。彼が今年最初のステージ優勝を獲得した時、僕自身もとても嬉しかった。コルネホは栄冠にふさわしいライダーだよ。

今年のダカールラリーは新しい国、新しい地形での開催でした。新たなナビゲーションのシステムも導入されました。今後の準備はどのようにされる予定ですか?

ダカールラリーは人間の精神を極限まで最大限にテストする。そして競技に参加する者たちは強くなり、同時に謙虚さも生み出すことにつながる。一年経って僕はもっと成熟してジェッダにまた戻ってきた。勝利に飢えていたんだ。

ダカールラリーで勝つための秘訣は何ですか?

秘訣なんてないよ。これが僕の初勝利だからね。だけど、集中力を持続して、健康に留意する必要があることは確かだ。ハードワークが必要だし、自分1人だけでは勝てないという認識を持つことも必要。ダカールラリーで勝つための秘策は、強いチームとバイクを手に入れることだと思う。今年は僕の周りにアメリカ人が増えたから、安心感があったよ。みんな良い仲間だ。花輪、ノーマン、キャンベル、そしてルイスだ。仲間が100%僕の背後を支えてくれていることを知ると、自分の中で自信が生まれる。僕らは自宅で膨大な量のテストを行い、週に3~4回はロードブックを使ったトレーニングを実施した。今年のバイクは最高だった。問題は一切発生しなかった。僕にとっても、チームにとっても、ホンダにとっても勝つ時が来たのさ。僕らは今年、18年続いたKTMの連続優勝を阻止した。これは僕ら全員にとっての大成功だったよ。

今回のダカールラリーのキーポイントは何でしたか?

まず、誰にとっても新しい国で開催されたということだ。だれもそこでレースをしたことが無かった。次に、ロードブックが午前中に配布されるようになり、ライダーのナビゲーションスキルが脚光を浴びるようになった。僕らにとっては複雑になったけど、より公正になった。自分のレースを振り返ると、ステージ3で違いを発揮できたと思う。僕は、ステージ3の岩だらけの道路と高速トラックを飛ぶように走破したよ。僕はスピードを愛しているんだ。

あなたはステージ3からリードしていましたが、どのようにしてそのプレッシャーに対処したのですか?

僕は自分自身に集中していた。2週間も続くレースの現場では、何が起きてもおかしくはない。現実的に状況を考えていたよ。

成功は、とある1日だけの結果ではない…

そうだよ。本当に成功を望むなら、そのために毎日努力し続けなくてはならない。トレーニングさえもハードな仕事だ。ラリー用のバイクを用意して、砂漠でトレーニングを行うことはできない。長い時間を掛けて入念な準備を行う必要がある。それは大がかりなプロセスだ。まず、ロードブックを用意する必要がある。これはつまり、中間ポイントの位置を知るためのデバイスを用意することを意味している。僕は、「ラリーバイト」というアプリを使ってロードブックを作成しているよ。次に、実際に外を走ってテストする人が必要になる。最後に、僕は自分だけでたくさん練習するため、バイクに乗る時は安全装備をジャケットに装着する。3~4冊のロードマップを準備するのは重労働だが、それはまた同時に、周りの人々と一緒に長い時間滞在することを可能にしている。僕は、ソノラの砂丘で訓練を行うためにメキシコにも行く。10月からは週に3冊のロードマップを作成し、サウジアラビアへ向かうフライトの前日までそれを続けていた。

今年のレースでは、ゴンサルベスが事故で亡くなり、とても悲しい瞬間を経験しました…

ゴンサルベスは負傷していたから最終的にペルーでのレースに100%参戦できなかったとしても、彼は昨年まで僕らのチームメイトだった。パウロは野営地でもっとも皆に愛され、尊敬されていたライダーの1人だった。彼が亡くなり本当に残念に思う。ラリーの主催者は、パウロと彼の家族への敬意を表するためにステージ8をキャンセルし、同時に、アクシデント直後の僕らの気持ちを落ち着かせ、見つめ直し、もっと集中してラリーを再開する時間の猶予を与えてくれた。

あなたはこの結果を誰に捧げますか?

この勝利はゴンサルベスのためのものだ。彼が天国から僕らを見下ろしていることを知っている。そしてゴンサルベスがここにいて、僕らと一緒に勝利を祝っていることを望んでいる。彼は長年、ホンダのライダーだったし、一生懸命プッシュしていた。偉大なライダーであり、親しい友人であり、さらに幸福な父親だった。

ダカールラリーで優勝した初のアメリカ人ライダーとなって、どのように感じていますか?

アメリカンドリームが叶った!とても爽快だ。この夢を実現するのに5年かかったから本当に嬉しい。こんな素晴らしい結果を誇りに思うことのできるライダーは多くない。優勝を獲得した初のアメリカ人であることは素晴らしい。いつか歴史の本に記載されることを願っているよ。僕はとても満足しているけれど、これはチームで勝ち取った栄光だと言うべきだろう。決してライダー1人だけで勝利を収めることはない。またサウジアラビアに戻って、もう一度勝ちたいと思う。

ホワイトハウスにも朗報が届いたようですが…

ホワイトハウス?知らなかったよ!すごいね。ドナルド・トランプ大統領にお会いできるのは素晴らしいことだね。

今朝、あなたの頭の中ではどんな想いが交錯していましたか?

長いステージを走ったので、様々な考えが頭をよぎった。どんなことが起きても不思議ではない。最終ステージでは、僕はベナヴィデスと一緒に安全に走った。余計なリスクを冒したくなかった。

ゴールラインを駆け抜けた時、最初に何を考えましたか?

あまりにも現実離れしたことだった。僕はヘルメットをかぶったままでは泣かなかったけれど、夢が叶った。現実の世界で勝つ前に、脳内で勝つことはできない。初日からずっと、僕は勝つことに集中するのではなく、すべてのステージにおいて競争力を維持し、堅実であることをめざした。今朝も同じことを心がけた。僕はその過程にいて、それらすべての瞬間を楽しんでいた。僕らはこのラリーというスポーツがリスキーであることを知っている。僕はそれをコルネホや他の人々と楽しんでいる。また、表彰台の下で父を抱きしめることができたのは大きなサプライズだった。僕は家族と遠く離れているけれど、父をここに呼ぶことができたのはとてもクールだった。今、僕はこの瞬間を楽しみたい。サウジアラビアでちょっとした観光旅行をするための時間がまだ3日間残っているよ。少なくとも1ヶ月間は、バイクに乗るのは遠慮しておくよ!!

この記事をシェアする:

RECOMMENDED

あなたへのオススメ