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Images from the 2019 World Skate ISO Nanjing Park Competition
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Aspire - Inspire: Ep 03 | ルーン・ グリフバーグ

Jun 122021

揺るぎないスケートボードアイコンの成長物語を振り返る。モンスターエナジーは、革新的なスケボー界のレジェンド、ルーン・ グリフバーグ(Rune Glifberg)が出演するミニドキュメンタリービデオシリーズ『Aspire–Inspire』エピソード3を発表できることを誇りに思う。モンスターエナジーのソーシャルメディアチャンネルで世界中に向けて公開された13分間の動画では、このデンマーク・コペンハーゲン出身、オリンピック・スケートボード・パーク種目に出場する46歳のスケーターの物語を紹介している。

バートで際どいトリックを難なくこなすスタイルで知られているグリフバーグは、今日のスケボー界で長く、熟達したキャリアを築いてきた。伝説のフリップ・スケートボードチームの一員として1995年に米国に移った後、バーチカル・スケートボーディングの進化に大きな影響を与えた。グリフバーグは現在、この夏の東京オリンピックで母国デンマークを代表するための準備を行っている。

ルーン・ グリフバーグのエピソードは、モンスターエナジー制作のミニドキュメンタリースケートボード動画シリーズの第3弾となる。『Aspire–Inspire』は、モンスターエナジーのスケートチームに所属するヒーローたちの刺激的なバックグラウンドを記録していく。視聴者は、ライダーたちが困難を乗り越え、それぞれのフィールドでトップに立つ助けとなった背景、個性、そして競争哲学を知るだろう。
 
マルコ・サヴィーノ(Marco Savino)のプロデュースのもと、ヘンネル・コエルホ・ジフィグエイレド(Henner Coelho de Figueiredo)と共にデンマークのコペンハーゲンで撮影された。動画内では、コペンハーゲンのスケートパークでのアクションを捉え、彼のアイドルであり、デンマークの“ボーンズ・ブリゲード”の伝説的人物である、ニッキー・ゲレロ(Nicky Guerrero)がゲスト出演している。
 
「子供の頃、最も影響を受けたのはニッキー・ゲレロだったと思う。彼はここコペンハーゲン出身だ。僕がスケボーを始めた頃に彼はプロに転向した。彼にはちゃんとしたスポンサーがついて、スケートスタイルはかっこ良かった。彼は僕が夢を追いかけるための完璧なロールモデルだった」とグリフバーグは動画内で述べている。
 
11歳の頃、アメリカ製のスケートボードをプレゼントされたことがグリフバーグとスケートボードの出会いだった。これを機に、このデンマーク人の少年はスケーターとして世界を旅し、周囲を探索する道を歩み始めた。「11歳でスケボーを始めたとき、スケートができる新しい場所を発見していきたいと自然と思った」とドキュメンタリーの中でグリフバーグは語った。
 
その探求心によってグリフバーグはスケート技術を急速に進化させた。1990年コペンハーゲンで開催されたスカンジナビアオープン競技会で初のスポンサーシップを獲得。「初めてスポンサーを獲得したその瞬間から、心に火がついた。」1990年にフランスで初めてプロコンテストに参加した後、1992年にイギリスのハードグッズブランド、フリップ・スケ―トボーズでプロモデルのボードを獲得し、彼のスケートボード生活を強力にバックアップした。

ヨーロッパのコンテストに参加し、チームと共にツアーを周った数年間の後、グリフバーグは思い切った決断をする。1995年、高校を卒業した直後にデンマークからカリフォルニア州コスタメサに拠点を移し、アメリカにフリップ・スケ―トボーズを設立。「それはまったく新たな始まりだった。家族やみんなを故郷に残して。これまでアメリカに行ったことがなかったので、僕にとって世界調査、探検のようなものだった。」

 

初めてアメリカに降り立ったグリフバーグは、名を上げ始めた。バートライディングが新世代のプロによって再定義されたとき、優雅でスタイリッシュに回旋する爆発的に高いエア、ストリートスケートからバートへ合わせたキックフリップとスイッチが融合したスタンスバリエーションの才能で、グリフバーグは強力なミックスを見せつけた。グリフバーグの映像が411ビデオマガジンやトランス・ワールド・スケートボーディング誌などの動画で紹介されるとすぐにスケボーコミュニティは彼に注目した。

 

さらに、このルーキーはプロになるために必要な、他に引けを取らない才能も持っていた。1995年、グリフバーグはロードアイランドで開催された第1回目のX Games(当時は「エクストリームゲームズ」)に出場し、スケボー界のアイコン、トニー・ホーク(Tony Hawk)などエリートライダーたちとの戦いの場で3位の表彰台に上がった。ライディングスタイルと爆発的なエネルギーで“デンマークのデストロイヤー”とあだ名がつけられたグリフバーグは、1997年の伝説的なX Games Skateboard Vert決勝でホークと対戦し、惜しくも2位になった。

 

「大会はより多くのオーディエンスに自身の持つ唯一無二のスキルを知ってもらう機会であることは間違いない。集中してトリックをつなぎ合わせることで通常以上の実力を発揮することができる」とグリフバーグは述べている。
 
ここぞというときに難しいトリックを決めることができるグリフバーグは、バンクーバーでのスラム・シティ・ジャム(1996年、1998年)、タンパプロ(2003年)、グラビティ・ゲームズ(2001年、2004年)、ヴァンズ・プロテック・プールパーティ(2005年、2007年、2008年)、ミスティックSk8カップ(2006年)、コペンハーゲン・プロ・バート(2007年、2009年)など、世界で最もメジャーなハーフパイプ大会で、時には数回連続で優勝した。
 
グリフバーグのプロとしてのキャリアは、ハーフパイプからバートとストリートの要素を融合したパークスケートに移ったときに、非常に成功を収めている。2008年、2009年のX Games Los Angelesのパークスケートボーディングで連続して金メダルを獲得した後、彼はこの種目で表彰台の常連となった。グリフバーグは現在12個のX Gamesメダル(金2、銀3、銅7)を保持している。さらに競技場の外では、ホークのプロスケーターシリーズのビデオゲームでプレイできるキャラクターとして、世代を超えたスケーターたちにインスピレーションを与えてきた。
 
さらに、2人の娘を持つ父親として、将来のスケーターたちを積極的に育成し、コペンハーゲンのスケートパーク建築・設計事務所グリフバーグ-リッケのパートナーおよび共同創設者として公共のスケートパークを設計している。しかし、誤解がないようにいうと、グリフバーグはプロのスケーターとして未だに競技に挑み続け、最近も大きな大会で表彰台に登っている。2017年ヴァンズパークシリーズのヨーロピアン・コンチネンタル・チャンピオンシップで優勝し、2019年には、誰もが羨むヴァンズ・コンビプールパーティー大会(マスターズ部門)で2位になった。
 
また2019年には、パーク種目でデンマーク全国選手権で1位になり、今年の夏の東京オリンピックで初採用されるスケートボード競技への出場を決めた。オリンピックワールドスケートボードランキングで6,180ポイントを獲得し、スケートボードで最も成功し尊敬されるキャリアの1つを築いたイノベーターであるグリフバーグは、オリンピックの金メダルを争う20人のエリートスケーターたちとの戦いの場でデンマークを代表する。
 
「オリンピックにとってスケートボードは本当に重要だと思う。大衆がスケートボードを見るのは良いことだ。スケートボードを使ってどんなことができるか、そしてスケートボードがどれだけ個人の成長を助け、刺激を与えたかについて、目に見えない可能性をたくさん感じることができる」とグリフバーグは述べ、こう付け加えた。「僕にとって、オリンピックでデンマークを代表できることは非常に大きな意義がある。デンマークは偉大なスケートボードの国だと感じている。スケボーコミュニティとして、ここには独自の何かがある。だから、デンマークがスケートボーディングの世界地図に載ることが、僕にとっては重要なんだ。」

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